【難病】元ニャンちゅう声優の津久井教生ALS公表から4年の今は?

難病の有名人元ニャンちゅう声優の津久井教生ALS公表から4年の今は!? 難病の有名人

NHK Eテレで長年愛されているキャラクター、ニャンちゅう。

そんなニャンちゅうの声優を1992年から31年間務めてきたのが、声優の津久井教生(つくい きょうせい)さんです。

一度聞いたら忘れられないニャンちゅうの声は、だみ声が特徴的で、誰もが人生で一度はモノマネをしたことがあるのではないでしょうか?

唯一無二の声で、3世代にもわたる子どもたちを楽しませてきた津久井教生さんですが、2019年に難病であるALS(筋萎縮性側索硬化症)に罹患したと公表されました。

難病の中でも最も残酷だと言われるALSという病気に、当時、衝撃を受けた方も多いと思います。

公表以来、自身のブログやYouTubeチャンネルでALSの情報発信を続けてきた津久井教生さん。

公表から4年経った現在の姿や活動についてリサーチしてみました。

もぐぷく
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津久井教生さんの生き方に勇気が湧いてきます!ALSのことも多くの人に知っていただきたいです。

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津久井教生の名言

はじめに、このブログでは紹介させていただく方の名言を紹介させていただいています。

今回、私が津久井教生さんのことを知って、心に残った言葉がこちらです。

どこまで前に進めるか試してみよう

津久井教生YouTube動画より引用

この言葉は、ALSと診断されたことを公表して4年が経った現在、すでに気管切開により自分の声が出せない状態で、パソコンの音声読み上げシステムを使って発言された言葉です。

手足も動かなくなり、仕事にもしていた大切な声を失った今、津久井教生さんの目にはどんな未来が見えているのでしょうか。

津久井教生さんのお人柄とあわせて、この4年間の出来事を振り返ってみましょう。

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津久井教生とALS

津久井教生さんは、21歳の時に声優デビューを果たし、32歳の時にニャンちゅうの初代声優に抜擢されました。

以来、31年もの間ニャンちゅうの声優を務め、同時に『ちびまる子ちゃん』や『それいけ!アンパンマン』に登場するキャラクター等の声を担当されてきました。

声優の仕事以外にも、舞台のコーディネートや、声優を夢見る若者たちを指導する講師としても活動され、様々な分野で幅広く活躍されてきました。

そんな行動力のある津久井教生さんですが、2019年の3月に突然足が動かなくなったそうです。

2019年8月23日に、約1ヶ月の検査入院をされたことをブログで報告されていました。

当時はまだ病名が分からず「名無しのごんべぇ」の病気としてお話されています。

この時すでに、歩行は困難な状態にありました。

もぐぷく
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病名も分からず症状だけが進行していく恐怖は計り知れません。

そして、2019年10月1日に、検査の結果ALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断されたことを公表されたのです。

病名が分かったことを、このように報告されていました。

病名が見えてきて、さんざんSNS等で書いていた「名無しのごんべぇの病気」のストレスから解放されて、気持ちよく前に進もうと思っています!

https://ameblo.jp/kyousei-t/entry-12531566390.html?frm=theme

難病であるALSと診断されたにも関わらず、「気持ちよく前に進もう」という言葉が出ることに衝撃を受けました。

そもそもALSとは、どのような病気なのでしょうか。

ALS(筋萎縮性側索硬化症)とは

ALS(筋萎縮性側索硬化症)は、手・足・のど・舌の筋肉や、呼吸に関わる筋肉が痩せて、力がなくなっていく病気です。

日本では、国の指定難病に登録されています。

発症原因は不明で、治療法もありません。

筋肉の力がなくなっていく病気ですが、筋肉そのものが原因ではなく、筋肉を動かす神経(運動ニューロン)の障害によって症状が現れます。

運動ニューロンの障害により、脳からの筋肉を動かす命令が伝わらなくなってしまい、力が入らず筋肉が痩せていってしまうのです。

日本の患者数は約1万人で、毎年1,000〜2,000人の方が新たに診断されていると言われています。

最もかかりやすいのは、60〜70代だと言われていますが、20〜30代の若い世代に発症する可能性もゼロではありません。

ALS(筋萎縮性側索硬化症)の症状

ALS(筋萎縮性側索硬化症)は、一度かかると良くなることはなく常に症状が進行していきます。

初期症状などの主な症状がこちらです。

  • 手先が使いにくい
  • 肘から先の筋肉がやせて力が入らない
  • 話しにくい
  • 水や食べ物が飲み込みにくい
  • 足の筋肉がやせて力が入らない
  • のどの筋肉に力が入らず、発音しにくい
  • よだれやたんが増える
  • 感情に関係なく表情が笑ったり怒ったりする
  • 認知症の併発(まれに)

最初は、手先が使いにくくなったり、話しにくいといった些細な症状から、どんどん症状が進行していき、最終的に全身の筋肉が痩せて力が入らなくなり、体を動かすことが難しくなります。

それは呼吸の筋肉も含まれ、ALSと診断された多くの方は、呼吸不全で亡くなられています。

呼吸の筋肉が動かなくなって呼吸が停止する前に、気管切開をして人工呼吸器を装着することで寿命を伸ばすことが可能です。

肺に空気を送ったり、痰を吸引しやすくするために気管に孔を開けることを気管切開といいます。切開した気管には、気管切開チューブというものを挿入します。

https://himeji.jrc.or.jp/category/diagnosis/syounigeka/kikansekkai.html
もぐぷく
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ちなみに、嚥下機能という食べ物を飲み込む機能に問題がなければ、食事制限はないそうです。

人工呼吸器を使わずに20年以上過ごせたという例もあるそうなので、最初の症状や進行していく症状、そしてスピードは人それぞれです。

最終的に全身の筋肉を動かせなくなりますが、体の感覚や視覚、聴力、内臓機能には変化がありません。

また、目やまぶたの筋肉、排泄に必要な筋肉には、症状が出にくいと言われています。

もぐぷく
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生き続けるか、終わりにするかの選択を自分でしなければいけないという点が、とても残酷な病気だと思います。

ALS患者さんの中で、人工呼吸器をつけない選択をされる方は7割いらっしゃると言われています。

その理由は、家族への負担や介護の環境、金銭面が多いようです。

こちらの動画で、人工呼吸器をつけるかつけないかという究極の選択を迫られるALS患者さんの葛藤を紹介されていますので、ALSという病気を知る上でも、是非見ていただき、患者さんの気持ちに寄り添っていただければと思います。

以前に、同じALSで亡くなったスポンジボブの作者であるステファン・ヒーレンバーグさんについての記事も書きました。

人工呼吸器をつけずに生涯を全うした彼の人生、仲間との絆から、あなたが今生きることの大切さを考えていただきたいです。

それでは、ALSと共に生きる選択をした津久井教生さんの公表から現在までの日々を振り返っていきましょう。

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津久井教生ALSとの4年間

ALS(筋萎縮性側索硬化症)と公表されてから4年間、津久井教生さんはSNSやブログ、YouTubeなどに現在の状態を報告し続けています。

↓こちらは、2024年2月20日に投稿された最新のX(Twitter)です。

首から下が動かないので、パソコンやスマホの操作を手で行えず、口に加えている割り箸を改良した棒で、パソコンの入力を行っています。

すでに人工呼吸器もつけられていますので、声は出せずYouTubeの撮影はパソコンの音声読み上げシステムを利用して撮影されていました。

ALSの公表後、津久井教生さんの病状は、どのような経過を辿ったのでしょうか。

津久井教生の病状の経過

津久井教生さんが発信されているブログやYouTubeなどで、病状の経過を順に見ていきましょう。

  • 2019年3月 突然足が動かなくなる
  • 2019年8月 検査入院
  • 2019年9月 ALS(筋萎縮性側索硬化症)であると診断される
  • 2019年10月1日 ALS(筋萎縮性側索硬化症)を公表

最初は、何もない場所でつま先が思ったよりも上がらず、盛大に転んでしまったことから始まりました。

それから「足を持ち上げる筋肉」がやせてしまい、力が入りにくくなっていったそうです。

病院で検査しようと思ったきっかけは、かかりつけの内科で半年ごとに行っている血液検査の結果が異常だったことでした。

LD(LDH、乳酸脱水素酵素)の数値が飛び抜けて高くなっていたことから、かかりつけ医にMRIやCTのある病院で検査を受けるように言われたそうです。

この「LD(LDH、乳酸脱水素酵素)」は過度な運動をすると上がる数値でもありますが、あまりにも数値(1200以上)が高かったことと、歩行困難になっている現状を鑑み、「肝臓、赤血球、筋肉、悪性腫瘍」の問題があるのではと診断されたのです。

https://gendai.media/articles/-/72078?page=4
もぐぷく
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丁度いいタイミングで血液検査があって良かったですね。

ですが受診したのは整形外科で、CT検査をしても異常なしと診断されてしまいました。

それでも症状は進行していったことで、神経内科を薦められ、そこで長期の検査入院を行うことになったそうです。

そしてやっと、検査の結果ALS(筋萎縮性側索硬化症)であると診断されたのです。

それから、まだ動ける手を大切にしようと指を中心にしたストレッチをしていましたが、公表から2ヶ月ほどでピアノが弾けなくなったそうです。

最初は弾けるのですが、すぐに弾く体力がなくなってしまうのです。足に起こった歩行困難と同じような現象です。「えっ、嘘でしょ、早すぎない?」現実に愕然としました。

https://gendai.media/articles/-/87896?page=2
  • 2020年2月 介護保険要介護1・障害者手帳3級第1種を取得

  毎週1回のリハビリ通院を始めるも、車椅子生活になる

  • 2020年3月 YouTube「津久井教生チャンネル」開設
  • 2020年5月 手が顔まで伸ばせなくなり、頭と顔が洗えなくなる
  • 2020年8月 車椅子ごと乗れるタクシーを利用開始
  • 2020年9月 CTなどの検査は2人がかりの抱っこで移動

足は最初に違和感を感じてから1年ほどで動かなくなり、完全に車椅子生活になったそうです。

始めは足のリハビリをしていましたが、足が動かなくなってからは、体幹維持を行い、椅子に固定してもらえれば喋れる状態を維持していました。

手や腕の筋肉は、想像よりも早く進行し、1週間で2センチずつ腕が上がらなくなっていったんだとか。

一番困ったのは食事だという津久井教生さん。

介護用のお箸もすぐに使えなくなり、犬のように顔を近づけて意地でも自分で食べていたそうですが、手が使えなくなってからは、奥様に食べさせてもらうようになったそうです。

妻に食べさせてもらったご飯はものすごく優しい味で美味しかったです。

https://gendai.media/articles/-/87896?page=3
もぐぷく
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この言葉が深すぎて泣ける…(涙)

  • 2020年10月 ALS公表から1年、要介護4になる
  • 2021年2月 手がほどんど動かなくなる

公表から1年で要介護4となりながらも、声優、声優学科の講師、執筆、音楽関連の仕事など、幅広く精力的に活動されていました。

手が動かなくなったことで、発信を続けてきたSNSやブログなどのキーボード入力が難しくなり、この頃から【視線入力】の練習を始めたそうです。

視線入力装置とは
手足や口を使わず、視線のみでパソコンやタブレット端末を操作できる装置のことをいいます。「何も体に付ける必要のない非接触」「ダイレクトに入力」「視線(黒目)を動かすことで操作」という特長があります。

https://www2.osaka-c.ed.jp/nishiyodogawa-s/3b895fc57f571ae36402b174619d9892.pdf

津久井教生さんは、視線入力の練習をしつつも、基本的には割り箸を口にくわえてキーボード入力をされていました。

ちなみに、津久井教生さんが試されていた視線入力装置は、『tobii』というアイトラッキング(視線計測)技術を使った「アイトラッカー」というソフトだそうです。

調べた感じだとこちらの製品かと思います。↓↓

必要に感じている方がいらっしゃれば、参考になれば幸いです↑↑

  • 2021年10月 ALS公表から2年、動くのは首から上と指だけになる

  呼吸器検査の数値も落ち始める

2021年8月から、24時間体制の訪問介護を目指して、重度訪問介護を取り入れたそうです。

2年前までは健常者であった津久井教生さんが、この2年間で取得したものがこちらです。

  • 障害者福祉サービス受給者証
  • 地域相談支援受給者証
  • 障害 種別1・区分6・278時間支給 
  • 重度心身障害者・医療費支給者証
  • 指定難病医療受給者証
  • 介護保険被保険者証・要介護4
  • 国民健康保険限度額適用認定証
  • 介護保険負担割合証
  • 障害者手帳1級

これらの証明証を、津久井教生さんはこのように表現されていました。

私が人の力を借りないと生活できないという証明書のようなものです。しかしながらこれがないと介護サービスが受けられないのも確かな事なのです。

https://gendai.media/articles/-/87896?page=4
  • 2022年6月 一番上の要介護5になったことを報告

この頃から、気管切開をして人工呼吸器をつけるかの選択を考えるようになる。

24時間体制の介護がないと生活できなくなったことで、要介護5に判定されたそうです。

そして、この頃から気管切開を【やる】か【やらない】かの意思決定をしなければいけなくなってきました。

ALSの説明でもお話しましたが、ALS患者さんは喉の筋肉が動かなくなることで呼吸ができなくなり、気管切開をして人工呼吸器をつけなければ、そのまま呼吸困難で亡くなってしまいます。

この頃の津久井教生さんは、『もしも』の時の為に、医師やご家族に気管切開を【やる】のか【やらない】のか、自分の意思を伝えなければならない状況だったのです。

当時の津久井教生さんは、このように語られていました。

今私は51対49で「気管切開をしない」という意思を持っています。

https://gendai.media/articles/-/95895?page=5
もぐぷく
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人生の終わりを決めるんですから、本当に難しいです…。

気管切開しない方に多く票数が入っていますが、同時に「死ぬ気はない」と語った津久井教生さん。

【どう生きるか】を模索し続けていました。

  • 2022年10月 ALS公表から3年が過ぎる
  • 2022年11月 ニャンちゅうの声を引退

ALSを公表してから3年という時間が過ぎ、首から下の筋肉が動かせなくなっていることを改めてYouTubeにて報告されました。

なんとかマウスの操作で使えていた右手の指について「時間の問題かな…」と言いながらも、「これからがALSの本番になる」と語った津久井教生さん。

その直後に、ニャンちゅうの声優を引退すると発表され、多くのファンが驚きと寂しさを感じながらも、長年の功績を残した津久井教生さんに敬意を払いました。

そして、11月末に更新されたのを最後に、ブログでの発信は途絶えてしまったのです…。

  • 2023年2月 気管切開の手術をして人工呼吸器を装着したことを報告

2023年2月17日にアップされた動画がこちらです↓

動画では、2022年12月2日に体調不良で緊急入院し、12月5日に意識不明になったと説明されています。

ALSの進行により呼吸が停止してしまったのです。

すぐに周囲の呼びかけにより意識が戻り、それにより気管切開の手術を受けることを決めたと語っていました。

そして何より、津久井教生さんの背中を押したのは、奥様の言葉でした。

何よりも妻が言ってくれた「生きればいいじゃん」という言葉。
この「生きればいいじゃん」は心に響きました。

https://gendai.media/articles/-/107015?page=4

この言葉がなければ、意識が戻った短い時間で気管切開を決められず、「本当に旅立っていたかもしれない」といいます。

さらに栄養摂取を改善するために、年末には胃ろうの手術もしたと報告。

1ヶ月半入院し、退院してから自宅の生活に慣れるまで1ヶ月かかりました。

動画の最後には、このような言葉を残されています。

一気にALSの最終段階にきてしまった状況ですが、声を出すことができない、手足を動かすことができない、人工呼吸器に頼って、胃ろうを利用して生活する状況で、一体、何ができるのかを模索していこうと思います。

https://gendai.media/articles/-/106434?page=3
もぐぷく
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「何ができるのかを模索していこう」という言葉は、チャレンジ精神あふれる津久井教生さんらしい言葉ですね。

その言葉通り、気管切開後もSNSやブログ、YouTube、WEBサイトの連載など、様々な面で自らの状況を惜しみなく発信し続け、同じ病気の方だけでなく、多くの人々に生きる勇気を与え続けていきました。

  • 2023年3月 NHK放送文化賞 受賞
  • 2023年10月 ALS公表から4年が過ぎる
  • 2024年現在 口に加えた棒で精力的にALSの発信を続けている

ニャンちゅうの声を30年務め、ALS発症後も変わらずニャンちゅうとして多くの子ども達を楽しませ、さらに声優交代後も監修者として番組を支え続けた功績を称え、NHK放送文化賞が授与されました。

そして、ALS公表から4年が過ぎ、現在も多くの媒体で発信を続けています。

4年を過ぎた時にアップされた動画がこちらです↓

まだ動く首から上を最大限に使い、表情豊かに病気のこと、現在の状況、そしてこれからのことをお話されています。

動画の最後に、本音を語った際には、このような印象的な言葉を残されていました。

病気と戦えないということは、かなり悔しいことです。

津久井教生YouTubeチャンネルより引用

ALSという病気を知り、受け入れ、共に生きる。

津久井教生さんにとっては、そうやって生きてきた4年間で、これからもALSとどう生きるかを模索し続ける未来を思い描いているのかもしれませんね。

ALSと共に生きたこれまでの4年間で、伝えたいことがあるという津久井教生さん。

それはいったい何なのでしょうか?

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津久井教生が伝えたいこと

些細な違和感から始まったALSとの人生。

病名を求めて彷徨い、日々進行していく症状と向き合い、生死をさまよった津久井教生さんが、今伝えたいこととは何なのでしょうか?

神経内科という選択

1つ目は、聞き慣れない【神経内科】という存在です。

皆さんは、風邪を引いたら内科、足を捻ったら整形外科、花粉症になったら耳鼻科など、症状や疑う病気によって診療科を選択されていると思います。

街にはそれらの病院があちこちにありますが、【神経内科】という診療科を目にしたことがある方は、少ないのではないでしょうか。

津久井教生さんは、自身の経験からこのように語られています。

私のような違和感で足などが動かなくなり進行が著しい場合、明らかに事故やひねったりなどの原因が分かっている怪我でない限り、早めの神経内科の受診をお勧めします

https://gendai.media/articles/-/93948?page=2

とにかく「早めに神経内科を受診する」ということです。

神経内科は、脳や脊髄、神経、筋肉の病気をみる分野で、津久井教生さんの言う通り、『自覚する原因が無いのに、症状が続いている』という場合は、速やかに神経内科を受診しましょう。

受診したことない病院にいきなり行くのは気が引ける…。

大きい病院にしか神経内科が無くて初診料がネック…。

症状に不安を感じながらも、↑こんな風に思ってしまう方も多いのではないでしょうか。

そんな時は、かかりつけの内科や整形外科を受診し、そこで原因が分からなければ神経内科への紹介状を書いてもらいましょう。

大学病院などの大きな病院では、紹介状があれば初診料がかかりません。

なので、一度話しやすいかかりつけの先生に相談してみると、神経内科へのハードルが下がると思います。

リヴィングウィルとACPの重要性

2つ目は。【リヴィングウィル】と【ACP】の重要性です。

聞き慣れない言葉で、私自身も恥ずかしながら初めて耳にしました。

検索してみると、このような説明が出てきました。

 リビング・ウィルは元気なときからご自身の延命治療の希望などを考え、ご家族と話し合い、書き記しておく生前の意思表明です。

〈中略〉

もしものときのために、自分が望む医療やケアについて、前もって考え、家族や医療・介護の関係者と繰り返し話し合い共有する取り組みを『アドバンス・ケア・プランニング(ACP):愛称「人生会議」』と呼びます。

https://www.city.suzaka.nagano.jp/contents/item.php?id=594a17159c566#:~:text=%E3%83%AA%E3%83%93%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%81%AF%E5%85%83%E6%B0%97%E3%81%AA,%E4%BC%9D%E3%81%88%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%8C%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82

つまり、【もしもの時にどうするか】ということを、元気な時に自分自身で考え、家族や医師に気持ちを伝えておくということです。

一度呼吸が止まり、人生の終わりが目の前まで迫った津久井教生さんだからこそ、このリヴィングウィルとACPの重要性を伝えたいといいます。

リビングウィルは、一度どうしたいかを書いてみて、改めて自分の気持ちと向き合い、考えが変われば書き換えても良いそうです。

自分の気持ちと向き合うためにも、家族との話し合いが重要なのかもしれませんね。

津久井教生さんのように、考えが一瞬で変わってしまうほどの言葉を、家族からもらうかもしれません。

「生きればいいじゃん」

「生きて欲しい」

どんな言葉をもらって、何を思うのか、家族と話し合い、意思を書き記しておくことの重要性が多くの方に伝わって欲しいです。

また、病気の家族を支えている方にとっても、ACPは必要なものだと思います。

いざという時の為に、あらかじめ患者本人の気持ちを聞いておくと、「もしもの時に自分が決断しなければならない」ということも無くなります。

あの時の決断は間違ってなかっただろうか…と後悔が和らぐように、元気なうちに患者本人と話すことが大切です。

健康な人でも、人生何が起こるかわかりません。

多くの人が「もしものことを考える」きっかけになればと思います。

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まとめ

以上、ALSと共に生きる津久井教生さんの現在をお話させていただきました。

かなりボリュームのある記事になってしまいましたが、まだまだ津久井教生さんの魅力を伝えきれてないなと思っています。

この記事を読んで、津久井教生さんに興味が湧いたという方は、是非、津久井教生さんのブログや連載を読んでいただければと思います!

今回、津久井教生さんのことを隅々まで調べてみて、いつでも前向きに、明るく発信をされていますが、その裏には多くの絶望や葛藤があって、それが4年間ずっと続いているのではないかと思いました。

そしてそれはこれからも続いて、ALSと共に生きるということは、自分の精神との戦いなのではないかと感じました。

津久井教生さんは、本当に強い人です。

強くて、強くて、涙が溢れます。

私も気持ちが落ち込んだ時、病気の自分を責めた時、津久井教生さんの言葉を聞いて、姿を見て、1歩ずつ前に進んでいこうと思います。

ただの多発性硬化症の主婦ですが、いつかお会いしてみたいな…笑

憧れの存在です♡

☆津久井教生さんのブログはこちら

☆講談社・FRaU「ALSと生きる」連載記事はこちら

☆津久井教生さんのYouTubeチャンネルとSNS

もぐぷく
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津久井教生さんのことを多くの人に知っていただきたいので、ここから下にスクロールしていただき、スポンサーリンクの下にある【シェアする】というところから、是非ご家族やお友達へのシェアをお願い致します!

☆他にも難病の有名人をいくつか紹介してますので、ぜひ覗いてみてください!

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