パリパラリンピックでメダルが期待される小田凱人(おだ ときと)選手!
CMにも出演されていて、活躍に期待している方も多いのではないでしょうか?
一度見たら忘れられない髪型や、スタイリッシュなファッション、そして目鼻立ちがハッキリとしたイケメンで、障害者の枠を超えて人気が高まっています。
そこで、車椅子テニスの小田凱人選手について徹底的にリサーチしてみました!
車椅子になった病気は骨肉腫なのか、歩けるって噂の真相、病気が転移して再発したこともあるという情報を掘り下げていきます。
そして、小田凱人選手を支える家族や彼女の存在についてもご紹介致します!
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小田凱人の病気は?
小田凱人選手は、9歳のときに骨肉腫を発症されました。
骨肉腫を発症する前は、徒競走で1位になるほど足が早く、幼少期から取り込んでいたサッカーでプロになることを夢見る少年だったそうです。
その夢が絶たれることになったのが、9歳のとき。
サッカーをプレーしていたときに激痛が走り、利き足だった左の股関節に、悪性の骨肉腫が見つかりました。
9ヶ月にわたり、辛い抗がん剤治療と、股関節と大腿骨の一部を切除して人口関節を入れる大手術を行いましたが、医師には「もう走れなくなる」と告げられたそうです。
そして、手術の後遺症で左脚が動かなくなってしまいました。
サッカー選手になりたかった9歳の子が、この絶望を経験したと思うと、胸が締め付けられます…(涙)
小田凱人選手が発症した骨肉腫とは、どのような病気なのでしょうか?
骨肉腫はがんなの?症状や治療法は?
小田凱人選手が9歳のときに発症した骨肉腫は、骨に発生する悪性腫瘍(がん)です。
中学生や高校生くらいの年齢に発症しやすい病気だと言われていますが、約3割は40歳以上で発症しています。
日本国内では、1年間に約200人の方が発症されていて、がんの中では非常にまれな分類なんだとか。
骨肉腫は、腫瘍が大きくなるにつれて発症した骨が破壊されますが、腫瘍自体が骨を作ることが特徴です。
また、血液の流れで運ばれて転移することが多く、最も多く転移する先は「肺」なんだとか。
骨肉腫の症状
骨肉腫を発症すると、このような症状が現れます。
- 腫瘍が発生した部位の痛みと腫れ(初期症状)
- 腫瘍が発生した骨の骨折
患者の約6割は、膝の上下部分に発生していますが、まれに骨盤や背骨に発生する場合もあり、その場合は麻痺が出るまで気が付かないこともあるそうです。
現在、似たような痛みがずっと続いている場合は、我慢せず専門医(整形外科、小児科)を受診しましょう。
骨肉腫の治療法
骨肉腫の治療法は、転移の有無や、患者の年齢、腫瘍の性質や大きさ、場所を診断し、患者本人やご家族の希望などを含めて、担当医と共に決めていきます。
治療の方法はこのようなものがあります。
- 手術(外科治療)
- 薬物治療
- 放射線治療
体の治療だけでなく、緩和ケアや支持療法も同時に行われるそうです。
緩和ケアは、がんに伴う心と体、社会的なつらさを和らげます。がんと診断されたときから始まり、がんの治療とともに、つらさを感じるときにはいつでも受けることができます。
支持療法とは、がんそのものによる症状やがんの治療に伴う副作用・合併症・後遺症を軽くするための予防、治療およびケアのことを指します。
https://ganjoho.jp/public/cancer/osteosarcoma/print.html
心の衝撃を考えると、一番大切な治療ですね。
◎骨肉腫について、もっと詳しく知りたい方は、こちらを参考にしてみて下さい↓
骨肉腫というがんを、わずか9歳で発症し、辛い治療を経験された小田凱人選手は、術後どのくらい回復したのでしょうか?
小田凱人は歩けるって本当!?
小田凱人選手は、手術により人工関節となりましたが、短い距離なら杖を使って歩けるそうです。
現在も、脚を使わないと筋力が落ちてしまうという理由で、日常生活でもなるべく立って歩くように心がけているんだとか。
ですが、9歳でサッカー選手になる夢が絶たれてしまった小田凱人選手は、どのようにして世界に名を轟かせるほどの車椅子テニス選手となったのでしょうか?
車椅子テニスとの出会い
小田凱人選手が、車椅子テニスと出会うことになるきっかけは当時の主治医でした。
当時のことをこのように振り返っています。
「車いすに乗る人だけができるスポーツがあって、パラリンピックという世界大会がある。主治医の先生からそう聞いて、初めてパラスポーツのことを知りました。そこからYouTubeでいろんなパラスポーツの動画を見て、直感でビビッときたのが車いすテニスだったんです。競技用車いすを巧みに操作しながら、激しいラリーを繰り広げる選手の姿を見て、『これがやりたい』と明確に思いました」
https://spur.hpplus.jp/sdgs/dearearth/2024-02-19-CcrwGA/
スポーツが大好きなことが溢れ出していたからこそ、車椅子テニスに出会えたのかもしれませんね!
そして10歳のとき、希望となる選手と出会います。
2023年に現役引退をした元車椅子テニスプレイヤーの国枝慎吾さんです。
病院のベッドの上で、ロンドンパラリンピックの決勝で戦う国枝慎吾さんの気迫に釘付けになったそうです。
「めちゃくちゃカッコいい。自分もこうなりたい」
https://spur.hpplus.jp/sdgs/dearearth/2024-02-19-CcrwGA/
そう思った小田凱人選手は、早く車椅子テニスを始めたい一心でリハビリに取り組み、退院後すぐにラケットを振り始めたんだとか。
地元の車椅子テニスができるクラブに通い、夢中で練習に取り組み実力をつけていきましたが、またも大きな試練が小田凱人選手を襲います。
なんと、2度にわたり、がんが肺に転移したのです。
度重なるがんの再発に、不安と恐怖を感じていた小田凱人選手、そんなとき大きな光となったのが国枝慎吾さんの存在でした。
「国枝さんのように、車いすテニスで世界一になりたい。僕ははじめからすごく高いところを目指していたので、治療が苦になることはありませんでした」
https://spur.hpplus.jp/sdgs/dearearth/2024-02-19-CcrwGA/
10代の多感な時期に、病気を乗り越えるだけでも大変でしょうに、夢を諦めずトップを目指し続ける姿勢に勇気を貰いますね。
そして、がんの再発から復帰した小田凱人選手は、車椅子を始めて4年目の2020年に、18歳以下の世界大会「世界ジュニアマスターズ」で、史上最年少優勝を果たします。
さらに翌年には、世界ジュニアランキング1位を獲得し、15歳でプロに転向したのです。
ずっと憧れてきた国枝慎吾さんとも戦いました。
国枝さんとは4回対戦して、結局一度も勝てませんでした。でも、今となってはそれが逆に良かったんじゃないかと思っています。もしも勝っていたら相当満足してしまって、僕のテニス人生がそこでひと区切りついていたかもしれません。勝てずに終わったからこそ、今も頑張れているように思うんです。
https://spur.hpplus.jp/sdgs/dearearth/2024-02-19-CcrwGA/page1/
国枝さんが本気でプレーしてくれたからこそ、車椅子テニスへの情熱が続いているのでしょうね!
2023年には、史上最年少で世界ランク1位となった小田凱人選手。
念願のパラリンピック出場を決め、世界が注目する車椅子テニスプレイヤーとなりました。
9歳で骨肉腫を発症し、サッカー選手の夢を絶たれた少年が、世界一の車椅子テニスプレイヤーとなるまでには、家族の存在が欠かせません。
小田凱人選手の家族は、どのような方たちなのでしょうか?
小田凱人の家族は?
小田凱人選手の活躍には、両親のサポートが不可欠でした。
9歳のとき、骨肉腫と診断されたときのことを、このように振り返っています。
両親はショックを受けていましたが、僕はまだ幼かったこともあり、この病気がどれだけ大変なものかを理解できていなかったように思います。
https://fujinkoron.jp/articles/-/11839?page=3
ショックどころじゃないですよ!息子が、がんになったら自分を責めて涙が枯れるほど泣きますよ!!!(想像しただけで泣く…)
辛い治療を経て、車椅子テニスプレイヤーとなる夢を見つけた小田凱人選手を、両親は献身的に支えました。
車椅子テニスを始めたばかりの頃は、父親が練習相手になってくれたんだとか。
Instagramには、父の日に若かりし頃と思われる父親の写真が投稿されていました!(2枚目の写真)
ワ、ワイルド…(驚)
地元の車椅子テニスクラブに通うのも、世界ジュニアマスターズに出場するのも、両親のサポートがなければ出来なかったことでしょう。
そして、15歳でプロになる決断をしたのも、両親に背中を押されたことがきっかけでした。
父や母は、どんな時でも「お前ならできる」「お前なら勝てる」と常に励ましてくれる。僕が強気の姿勢になったのも、そんな両親に導かれたからだと思います。
https://fujinkoron.jp/articles/-/11839?page=4
両親の言葉がなければ、現役の国枝慎吾さんと戦うことは叶わなかったかもしれませんね。
両親と共に、数々の困難を乗り越えてきた小田凱人選手。
史上最年少の世界一車椅子テニスプレイヤーとなり、そのブレない発言からもかなり大人びた印象ですが、まだ17歳の青春真っ只中!しかもイケメン!
彼女がいるのか気になるところではないでしょうか?…こっそり調べてみました。
小田凱人の彼女は?
小田凱人選手には、現在、彼女がいらっしゃるようです!
高校生になってから彼女ができたそうで、「キレイ系でキリッとしている人」という情報がありました。
以前のインタビューで、好きな女性のタイプを聞かれた小田凱人選手は、「タイプという分類に入らない、自分のブランドを持っている人がいい」という発言をされています。
青春!って感じでいいですね^^♡うふふ
そんな初々しさも感じられる小田凱人選手の名言を、最後に紹介させて下さい!
小田凱人の名言
最後に、私が小田凱人選手のことを知って、心に残った言葉を紹介させていただきます。
「もしも、何かに悩んでいる子どもたちに僕から伝えられることがあるとしたら、悩みたいときは素直に悩んでいいということです。別に落ち込んだっていいし、塞ぎ込んでもいい。悩んでいる自分にあらがう方が良くないと思います。その後に、新しく夢中になれるものが何かひとつでも見つかれば、決して無駄にはならないはず。『あのとき辛いことがあったから、こうなれた』と胸を張って言える自分が待っていると思います」
https://spur.hpplus.jp/sdgs/dearearth/2024-02-19-CcrwGA/page3/
この言葉は、小田凱人選手が子どもたちに向けて送った言葉です。
でも、大人の私が読んでもハッとさせられる言葉でした。
悩んでいる時間も、塞ぎ込んでいる時間も、絶対に無駄にはならない。
その時間があったからこそ、人として成長した今がある。
年齢関係なく、忘れてはいけない言葉だと思いました。
まとめ
以上、小田凱人選手の病気や、家族や彼女の存在について紹介させていただきました!
9歳で車椅子となり、2度もがんが肺に転移したにも関わらず、常に強い気持ちを持って突き進んでこられたのには、両親の存在が大きかったんだなと思いました。
歩けなくなった幼い息子に、前向きな言葉をかけ続けられるって、なかなか出来ないことだと思います。
そして、自分が活躍すればするほど、両親を安心させられると分かっているかのように走り続ける小田凱人選手の姿に、親子の絆を感じました。
今年は、国枝慎吾さんが引退して始めてのパラリンピック。
国枝慎吾さんが守ってきた金メダルを、小田凱人選手が引き継ぐ瞬間を見逃せませんね!
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